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ビリーザキッドを撃った銃が6億6000万円もの高額で落札!左利きの犯罪者が人気なわけ

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2021年8月27日にアメリカのロサンゼルスでオークションが行われ、19世紀にアメリカでアウトローとして伝説になっているビリーザキッドを撃った銃が約6億6000万円で落札されました。

銃器の落札価格としては史上最高額とのこと。

この銃は140年前にできた44口径のコルト製シングルアクション(銃の後ろのハンマーを指で起こして撃つもの)のリボルバー(回転式拳銃)で保安官のパットギャレットが使っていたものでした。

この時代のものとしては状態はかなり良好で、今でも使えるものだそうです。

今回は伝説のアウトロー、ビリーザキッドと最後は銃で撃たれた21年の短い生涯に触れていきます。

ビリーザキッドを撃った銃が6億6000万円で落札

アメリカのロサンゼルスで2021年8月27日にオークションが行われました。

1881年7月14日ニューメキシコの農場でビリーを射殺した保安官パットギャレットが持っていたものです。

伝説のアウトロー、ビリーザキッドを撃ったとはいえ6億6000万円とは驚きですね。

当初の予想落札額は2億円くらいではないかと言われていたので、3倍くらい予想額を上回ったわけです。

ビリーザキッドの人気がこれではっきりとわかりますね。

 

ビリーザキッドとは何者?

ビリーザキッドというのは本名ではありません。

本名は出生時はウィリアム・ヘンリー・マッカーティー・ジュニアといい、1859年11月23日生まれとされていますが、諸説あり不明なところがあります。

その後、無法者となってから様々な偽名を名乗りましたが、最後はウィリアム・H・ボニーと名乗り、墓石にもその名が刻まれています。

出生地もニューヨークで生まれニューメキシコで育ったと言われていますが、これも諸説あり様々な地域があげられています。

母親から良質な教育を受けていたようで、達筆な字体で州知事に恩赦を求めて書いた直筆の手紙が残っています。

しかし、その教養は12歳の時に母親を侮辱した男性を殺害し、アウトローになったことで母親が望んだようには生かされなかったのかもしれませんね。

その後、強盗や殺人を重ね生涯で21人を殺害したと言われていますが、現実的には9人との説もあり9人以上21人以下というところで議論が続いています。

リンカーン郡で牧場経営者の用心棒となったのですが、商売敵との縄張り争いが激しくなりリンカーン郡戦争と呼ばれる騒動にまで発展します。

そこで手違いで4人を射殺してしまい、1880年12月に友人でもあった保安官パットギャレットに仲間とともに逮捕されます。

このままいけば死刑となる運命だったビリーは幸運にも銃を手に入れ1881年4月に脱獄し、この事件がニューヨークタイムズ誌にて報道され有名になりました。

最後は21歳の若さで殺害されてしまうのですが、殺人者が人気者になるというのは変に思うかもしれませんが、当時の時代背景と銃の所持を許されているアメリカの常識がそこにはあります。

 

ビリーザキッドが人気の理由

150年近く経った現代でも様々な映画や書籍で取り上げられたり、日本でもステーキ屋さんやカラオケ屋さんにも名前が使われています。

これほどの人気の秘密は何なのでしょうか?

言ってみれば人殺しの犯罪者です。

この人気の秘密は、まずは謎が多いところでしょう。

出生年月日から、出生地まで様々な説があり、しかも21歳の若さで亡くなった短い生涯の中で様々な伝説を作ったわけです。

謎めいたところに惹かれてしまうのが人の性ですよね。

そして、もう1つはアメリカ人の中ではかなりの低身長で160cmくらいのかわいらしさに加えて、愛想がよく表情が少年のようだったことからキッドの愛称がつきました。

ピアノを弾くこともできたということで、無骨なガンマンのイメージからはかけ離れていたようです。

そして、ビリーがリンカーン郡戦争で穏やかな牧場主の派閥に加わり、賄賂にまみれ法の正しい裁きを捻じ曲げていた精肉業者の派閥に立ち向かい21歳の若さで生涯の幕を閉じてしまったことが当時のアメリカ人の琴線に触れたようです。

それから何と言っても左利きで扱う銃の腕前が超人的だったのも、大きな理由でしょう。

 

ビリーの腕前を物語る逸話

最も有名な話がジョー・グランドとの対決でしょう。

ビリーの行きつけの店に、流れ者で喧嘩っ早いジョー・グランドがやってきました。

必ず撃ちあいになると感づいたビリーは持ち前の愛想よさでジョーに近づき、自慢の銃を見せてくれるようせがみます。

ジョーは自慢の銃に興味を持たれ悪い気はせず、グリップに真珠のはめこまれた銃をビリーに渡します。

ビリーは興味深げに銃を手に取り、その瞬間に残った弾数を確かめ、その1発目が空撃ちになるように弾倉を回してジョーに銃を返します。

ビリーの予想通り、最後には口論になりビリーが背を向けて店の入り口に向かったところでジョーが後ろからビリーに銃口を向けて引き金を引きます。

その「カチャリ」という空撃ちの音を聞いたビリーは振り向きざまにジョーの眉間に瞬時に3発の弾を撃ち込みます。

ビリーが何事も無かったかのように口笛を吹きながら店を後にし、残されたジョーの亡骸を見たところ、眉間の弾痕は3発ともコインくらいの広さのところに正確に撃ちこまれていました。

というものです。

他にも空中に投げ上げた空き缶が地面に落ちるまでの間に、弾倉が空になる6発の弾を正確に空き缶に撃ちこんだなど、伝説は真偽が定かでない物も含めて数えられないくらいです。

 

ビリーザキッドを殺したのは誰?

数々の伝説を残したアウトローのビリーザキッドは1881年7月に保安官パット・ギャレットによりニューメキシコ州フォートサムナーで食料をとるために部屋から出たところを撃ち殺されました。

この時ビリーは丸腰で銃を身につけていませんでした。

イメージとしては3歩互いに反対側に歩いて振り向きざまに撃ちあって対決して撃たれて亡くなった・・・というものであってほしかったですが、あまりにあっけないですね。

 

パットギャレットはビリーの仲間だった

ビリーを撃ち殺したパット・ギャレットは保安官でした。

年はビリーの10歳程上でビリーのフォートサムナーの仲間でもありました。

本当はビリーが脱獄した時にそのまま逃げ去ることを望んでいたとも言われていますが、ビリーがフォートサムナーに戻ってきてしまい、既にお尋ね者になっていたビリーを襲わざるをえない状況になったとも言われています。

そんなパット・ギャレットもそれから約30年後に土地に関するトラブルのため背後から射殺されその生涯を閉じています。

 

墓に入っても人気のあるビリーザキッド

ビリーの墓は亡くなったニューメキシコのフォートサムナーにあります。

亡くなった後も人気が衰えず、墓石を削って持っていく人が多いために檻を周りにつけられています。

また、亡くなる少し前に殺人罪について裁判で証言すれば恩赦を与えると当時の州知事が言っていたという話が2010年頃に再びわきあがり、130年前の人物に恩赦を与えるかどうかの議論がかわされたという話もあり、最近の銃のオークションの話といい、亡くなった後も話題を提供してくれるあたり、人気がすごいものであることを物語っていますね。

ビリーザキッドを撃った銃が高額落札:まとめ

ビリーザキッドと今まで聞いたことはありましたが、何となく耳に入ってくるだけでどの様な人物か銃のオークションをきっかけに今回初めて知りましたが、撃ち殺された銃の方がビリーが脱獄時に持っていたもの(約1億円で落札)よりも高値がついたのは驚きですね。

また、ビリーザキッドが今でも忘れられない理由の一つに左利きというのもあるのかなと思います。

強烈な個性で最後まで自分らしく生きて散っていった姿に潔さを感じる方がたくさんいるのでしょう。

ただ、殺人者を英雄視することに対する嫌悪感を覚える人がいるのも確かです。

ビリーに恩赦を与えることに対して、パット・ギャレットの子孫たちは犯罪を正当化してはいけないと猛反対しました。

今の時代では考えられないことですが、人を殺すことで英雄視される時代があったということです。

ただ、ビリーザキッドは人殺しの人数よりも銃の腕前が賞賛されているので、少し違うと思います。

何せ残る伝説が多くてこれからの歴史研究において今の通説がくつがえることもあり、これからも私たちに話題を提供してくれることでしょう。

以上、ビリーザキッドを撃った銃が高額落札!というお話でした、

最後まで読んで頂きありがとうございました。